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日本の習俗vol.8霊魂


          < 日本人の霊魂感 >

   折口信夫博士による洞察によれば

 「霊魂」→→(外から来訪、付着)→→「身体」
   ↑
 この外来魂は時に遊離する、これを「たま」と呼び、発動を「たましい」と呼ぶ。

 その際、「たま」は石や瓢箪などのものに入って人間のところに訪れる。
 また霊魂が身体に付着して霊威を発動することを「結び」と呼ぶ。

 そして「たま」が弱ったり離れると病気や死、離れることを防ぐことを「たまむすび」
 遊離した「たま」を呼び戻す「たましずめ」、衰えた「たま」を鼓舞する
 「たまふり」などの鎮魂作法が行われる。


   「たま」は人間のみではなく、カミの本源でもある。


 カミの「たま」には、狩や漁の収穫を豊かにする「さきみたま(幸魂)」
 健康をもたらす「くしみたま(奇魂)」、この両者を包摂する「にぎみたま(和魂)」
 猛々しい力を発揮する「あらみたま(荒魂)」がある。

 この「たま」に対して自然物や自然現象に宿り、人間との関係が疎遠で粗末にされるので
 猛威を振るい、人間に障害をもたらすものを「もの(精霊)」
 そのあらわれを「もののけ」、それが憑いて害をもたらす現象を「つきもの」と呼んでいる。

 人に憑く「たま」、自然に憑く「もの」が今回は核でした。
 次回は、「人の一生と霊魂」・・・



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< おもしろ日本 >



        < 人の一生と霊魂 >

 霊魂がウブガミによって付着させられることによって人の一生は始まるのだが
 簡単に固着させることは難しく、夜泣き・疳の虫などは霊魂が遊離しようと
 することから起こるとされ、鎮魂の作法が行われた。

 身体に付着した生者の霊魂は、「イキミタマ」と呼ばれ、盆などに本家に同族の者が
 集まって共食することを「イキミタマの供養」といった。

 これに対し、「イキミタマ」が怨念を持って、人々に障をもたらす場合には
 「イキリョウ」と呼んで、恐れられた。


 人間が死ぬと、離れた霊魂は49日の忌あけまでの間は「シニミタマ」「シレイ」
 (死霊)と呼ばれた、「シレイ」が障をもたらす場合は「シリョウ」と呼んだ。
 また、49日以後の死者霊は「祖霊」と呼ぶ。

 *ちなみに一般の香典の表書を葬儀までは「御霊前」、
  49日以降は「御仏前」と記して区別している。


 民間では49日後の死者の霊は「ショウロウ」と呼んでいる。
 ただし初盆に迎えるその年に亡くなった人の霊は、
 特に区別して「ニイジョウロウ(新精霊)」という。

 ただ、正月も祖霊を迎えるときだが、年の初めでもあり、神道の影響もあって
 この時は帰宅する祖霊は「ミタマ」、死後初めての正月に帰る祖霊は「初ミタマ」と呼ぶ。
 
 何度も書くが、祖霊は33回忌の弔い上げで祖神となり、氏神と融合。
 
 
 後継ぎを残さないで死んだ人、未婚の男女、行き倒れの人などの「死霊」は
 正式に祀る子孫を持たないことから「無縁様」「ホカジョウロウ(外精霊)」
 「ガキ」と呼ばれた。 もちろん、僧侶や一般に人々によって供養された。

 怨念を抱いて死んだ人の霊は「怨霊」に、死後、誰も祀ってくれない霊は
 「幽霊」になるとされたのだ。
                         


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<別に意味はありません、貼ってみただけです。>



          < ケ・ケガレ・ハレ >

 気というものがある、中国では万物の根源を気としている。
 では、日本では気は何にあたるのか? 
 日本民俗宗教で穀霊さらに霊魂を意味する「ケ」に相当する。(桜井徳太郎ら)

 日常の俗なる生活に「ケ」が充満していて、私達はその「ケ」を身体に
 吸収して充足する事で労働・日常生活を快活に過ごしていけるとし

 この「ケ」が身体より離れたり弱ると「ケガレ」た状態になり身体が弱る。

 このときには、霊地などにいって忌籠りをして身体に「ケ」を満たして活性化する。

 「ケ」が充たされると「ハレ」がましい祭りの場で「ケ」を発動したうえで
 再び日常の労働・生活に回帰する循環形態を成しているといえる。

 
 「ケガレ」には近親者の死、女性の月経・出産のような死や血と結びつくこともある
 この場合は、とくに厳重な忌籠りが求められた。

 *大分前に書いたが、神社には「ケ(気)」の充足のために参る。
 疲れ切った魂の英気を養うのだ、そして神社はせせらぐ小川を渡った先に
 用意されていたりして、綺麗な水で私たちが身を清められるようにしてあるのだ。

 また神社はカミの居場所ではない、カミが降臨する場所
 だから掃除をして美しく整えていないと、降りてきてくれないですぞ。

 *神社に行こうの巻、参照。

 次回は「日本人の神観念」・・・



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